警察日記

この前、家の近くの公園で小さな子供にシールをあげている白バイ隊員を見かけました。こうやってみると、なんだか平和なのかなーって思いますね。

こんにちはコシャです。今回は大正時代の警察トップの方が書いた、日記を紹介します。

『警務雑筆』薄田美朝・著

昭和2年4月30日 発行


著者の薄田美朝さんは第一次大本事件の際に、香川県警視であった。実際に私がしょゆうしているものは、東京都世田谷区の成城に今でも残る、キヌタ文庫さんにて購入したもので、薄田美朝さんのご自宅から買い取ったとされているものです。

さて大本事件についてまとめていきます。
大本事件とは1892年に出口なおと、娘婿の出口王仁三郎が興した神道系新宗教である「大本」の宗教活動に対して、日本の内務省が行なった統制のことをいう。
「大本」は、出口王仁三郎の活動によって強勢を拡大し、知識人・軍人の入信。新聞社の買収や政治団体との連携を行うことで大きな影響力を持っている。

これらの活動に政府・警察・司法当局は危機感を抱き、1921年2月、当局は「大本」に対して、不敬罪と新聞紙法違反を適用し、王仁三郎ら3名を起訴するという第一次大本事件が起こった。裁判は大審院まで争われたが、前判決を破棄し、控訴院へ差し戻した。再審理中に大正天皇が崩御したことで、免訴となった。当局は「大本」に対する警戒を緩める。

王仁三郎は再び勢力を拡大し、1934年に結成した昭和神聖会では、政府の批判を繰り返したことをきっかけに、1935年12月8日、警官隊500人が綾部と亀岡の聖地を急襲した。王仁三郎は、不敬罪並びに治安維持法違反で検挙された。裁判は再び、大審院まで行ったが、敗戦により不敬罪が廃止され、無罪となった。これを第二次大本事件という。

どうでしたが、お読みいただきありがとうございました。

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