わしの地図は会津が載ってる
わしの地図は会津が載ってる
これってどういう意味なんでしょうか。これはこのブログを読んでいくとわかるので最後まで読んでくださいね。
こんにちはコシャです。今回は旅行に行きたいシリーズですが、一回江戸時代から離れて、現代の地図を語っていきたいと思います。
『会津道中細見図』
江戸方面から会津へ向かう際、家康公の眠る日光東照宮の手前、日光街道との追分である今市宿から、脇にそれ会津西街道を通ると、関ヶ原の前哨戦となった会津征伐の上杉景勝が治めていた会津の地がある。白虎隊が集団自決したのもこの地であった。ここ鶴ヶ城まで115キロの山道である。今の街道は自然に溶け込む美しい景色が数多く残る。また芦ノ牧温泉など素晴らしい宿もある。中でも自然豊かな芦ノ牧温泉、大川のほとりに立つ旅館「芦ノ牧温泉 大川荘」。実は地下から1階の吹き抜け部分が、人気アニメ「鬼滅の刃」の戦闘が繰り広げられる「無限城」のシーンに酷似している人気になっています。「無限城」で話題の大川荘ですが、その木造の優しいぬくもりを感じさせる美しい空間に加え、山々や渓谷の絶景を眺められる「棚田状になった湯船」の露天風呂という独特な温泉の造りも注目されています。しかも、源泉かけ流しの温泉です。実際に私も話題になる前に行ったことがありますが、会津名物が堪能できる素晴らしい宿です。
会津西街道を1878年にイギリス人女性探検家のイザベラバードが「日本奥地紀行」で訪れている。日程は以下の通りである。
6/24 日光→小百→藤原宿
6/25 藤原宿→五十里宿
6/26 五十里宿→山王宿→糸沢宿→川島宿
6/27 川島宿→田島宿→大内宿
大内宿からは街道を外れて、高田宿に進んでいる。
また、会津から新発田へは会津街道が伸びていて今の国道49号である。
鉄道では、会津鉄道という鉄道会社がある。会津鉄道は国鉄会津線を引き継ぐ第三セクターで、会津田島駅までは、東武、野岩鉄道との相互直通運転によって、東京は浅草駅から乗り換えなしで行くことができる。
さて題名の意味とは、この地図はこれらの交通機関を含め、会津地方の地図が現代版として作られ、今では珍しい【和紙】で書かれているというわけだ。果たしてこれはどのような目的で作られたのかはわからないが、私は、お土産品として作られたものだと思う。
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