江戸時代に旅行に行きたい② 我が物顔で東海道を歩ける大名になりたい
ははー
大名が歩く時、街道沿いの庶民はこうやって大名が通るずっと前から頭を下げていた。
もし、江戸時代にタイムスリップしたら大名として堂々と我が物顔で東海道を歩いてみたい。
こんにちはコシャです。今回は前回の伊勢参りの続編として歴史を面白く語っていきますのでよろしくお願いします。前回お話しした異文化交流が行われる理由となった江戸時代の交通網。今回はそれについて語っていきます。
日本の道を代表とする東海道は、もともと律令時代から存在しており、家康は拡充・整備を行なった。当初は謀反を備えるために整備され、他の街道も併せて整備され、五街道となった。
特に東海道の小田原〜箱根〜伊豆、甲州街道の上野原〜勝沼〜甲府、中山道の高崎〜坂本〜碓氷は、江戸に程近く、幕府にとって関所であったりと、重要な地点であった。
一方日光街道は、慶長7年に宇都宮宿が成立し、家康没後に宇都宮から日光東照宮までの参拝ルートが整備された。また宇都宮から白河までの奥州街道も整備された。これにより「五街道」が成立し、江戸に拠点を置くことで日本の中心であることをしめし、幕府の権威向上にもつながった。
街道という呼称は明治時代に定着したと言われ、当時は甲州道中、日光道中、奥州道中と呼ばれていた。
①東海道・・・宿場数53、距離492キロ。日本橋から三条大橋。箱根と新居に関所、大井川越えなどの難所多数
②中山道・・・宿場数69、距離526キロ。東海道の別ルート。峠越えや山越えが多く東海道より長い
③甲州街道・・・宿場数45、距離209キロ。甲府経由で下諏訪で中山道に合流。
④日光街道・・・宿場数21、距離147キロ。宇都宮から家康を祀る日光東照宮まで。
⑤奥州街道・・・宿場数27、距離192キロ。日本橋から宇都宮から分岐し、白河へ。陸奥や蝦夷から産物を江戸に運んだ
今回は長くなってしまったのでここまで次は五街道を支えた交通網についてお話ししていきます。お読みいただきありがとうございました。
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